物語のあらすじ
平安時代末期の1177年、京都・鹿ヶ谷の山荘で、平清盛率いる平家打倒の密議が発覚します (鹿ヶ谷の陰謀)。この謀議に加わっていた僧・俊寛、藤原成経、平康頼の3人は捕らえられ、 都から遠く離れた南海の孤島、鬼界ヶ島へと流罪に処されました。俊寛はもと僧都という高い 地位にありながら、火山が噴煙を上げる荒涼とした島での過酷な流人生活を強いられます。
翌1178年、中宮の安産祈願の恩赦により、成経と康頼には赦免が下り、迎えの船が鬼界ヶ島に 到着します。ところが、この赦免状に俊寛の名前だけが記されていませんでした。俊寛は 浜辺で船にすがりつき、置いていかないでくれと懇願しますが、船は無情にも彼一人を島に 残したまま出港してしまいます。『平家物語』の中でも屈指の名場面として知られるこの 「俊寛、一人島に残される」くだりは、後に能や歌舞伎の演目『俊寛』としても繰り返し 上演され、多くの人々の涙を誘ってきました。
「鬼界ヶ島」はどこなのか
『平家物語』の中で語られる「鬼界ヶ島」が、現在のどの島に当たるのかについては、実は 諸説あります。中でも有力視されているのが、鬼界カルデラの外輪山にあたる硫黄島(現在の 鹿児島郡三島村硫黄島)で、島内には「俊寛の碑」や、俊寛を祀ったと伝わる「俊寛堂」が 今も残されています。一方で、薩摩硫黄島ではなく、より南の喜界島(現在の大島郡喜界町)を 比定地とする説も古くから存在し、地名の類似(「鬼界」と「喜界」)もあって、二つの島の 間で「本家」を主張する動きが今も見られます。
硫黄島はまた、平家の落人(おちゅうど)伝説が残る島のひとつでもあります。壇ノ浦の戦いに 敗れた平家の残党が、この絶海の火山島まで逃れて住み着いたという伝承も語り継がれており、 俊寛の悲劇と合わせて、平家の栄光と没落の記憶がこの小さな島に幾重にも重ねられています。
次に読むなら
鹿児島には、俊寛のような悲劇の物語だけでなく、竜宮城への憧れを描いたおとぎ話の 発祥地を名乗る場所もあります。薩摩半島南端の岬、長崎鼻に伝わる浦島太郎伝説を 紹介します。
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